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アンジェリーナの挑戦

数日来、小林麻央さん死去のニュースが流れるたびに、涙がこぼれて、メガネをかけられないでいる。
いくつもの解説、あるいは友人のブログを見たりすると、早期発見ができなかったのか、というような話もある。

ガンであることがわかったときには、もうステージ4だったとか。若年性乳がんというのは進行が速いとか、いろんな情報があふれんばかりに流れてくる。

同病で苦しんでいる人もメディアに登場して、最期まで微笑みを忘れなかった小林麻央さんの追悼をしている。

思い出している。あのアメリカ女優が、自分にはガンの遺伝子があって、乳がんになる可能性が100%とは言えないにせよ、とても大きいこと。したがって、先に可能性を摘む意味でも、乳房を切り取ってしまう、という決断をしたことを。

あの時には、そこまでするのか、という思いを持ったものだ。ガンの恐ろしさを実感していないからかもしれない。乳がんは乳房をとりさえすれば避けられるものなのか、と思ったりもした。

実際のところは知らないが、小林麻央さんも、母親が乳がんだったとか、そしてガンになる可能性が高いことは承知していたらしい。でもそのお母さまはまだ生存していらして、麻央さんの看病にもあたられたという。

生存する人、そうではない人、ガンは公平ではない。私の親しい女性も、乳がん、子宮がんのほか、全部で4つのガンを患ったけれど、90歳の誕生日を迎え、一人、独立した生活をしている。
身体髪膚之を父母に受く、毀傷せざるは孝のはじめなり、ではないけれど、内臓を手術して、いいわけないのよ、とその女性は長年の不具合を言われる。

ニュースの解説で、1日、2000人の人があらたにガンの宣告を受けているのだと言っていた。いつ、その2000分の1になるかもしれない。

乳がんは特別なのだろうか。ほかの臓器で、ガンの可能性があるからと、先に取り除くことができることは可能なのだろうか。

いろんな治療は試されたに違いない。スマイルが一番の治療だともいうが、なんともつらい治療でもある。

もらい泣き

昨日、今日と心が重かった。つれあいの6回目の月命日のせいである。お天気はよいので、気象病でもない。たくさん咲いた薔薇の花をつんで、花瓶を総動員(でもないが)して、バラを活ける。そんなことをしても、心は浮き立たない。

今日も、体というより心に鞭打ってやるべきことをやっていた。そこに、市川海老蔵の妻、小林麻央さん死去のニュースがあった。
彼女のことを考えていたところだった。どうしているのかな?と。神様はむごいことをなさることもある、と。小林麻央さんは34歳だったそうだ。2児の母でもある。

もう一人、若い女性で、もう1年以上になるだろうか、確か胃がんで亡くなられた黒木奈々さんのことも思い出していたのだ。BSの国際ニュース番組に出ていた黒木さんは、美人スタイルがよい、アナウンサーとしての資質もある、と、私の贔屓の人だった。
番組の切り替えの時、メインキャスターになるだろうと思っていたところ、出演しなくなった。どうしたのだろう、と思っていたら、突然の訃報だった。やはり30代だったと思う。

神様もむごいことをなさる。わがつれあいは81歳9か月、男性の平均寿命も超えていたし、やりたいことも一応やり終えていたと思う。と、納得しようとしているのだが、そうもいかない。

それが30代の、片方は結婚して子供2人、どんなに心残りだったろうか、そして残された夫と子供の気持ちを考えると、つれあいを亡くした時と同じく、もう涙がとまらない。
黒木さんの場合は、独身であったとか。もしかしたら、結婚を予定していたのかもしれないし、そうでないかもしれない。仕事一途であったのかも。それも彼女の人生、こんな中途半端なところで病魔に襲われるとは思いもしなかったろう。

今の私は「死」に敏感に反応する。市川海老蔵は、妻の臨終にも立ち会えたという。息をひきとる寸前に「愛している」という言葉を聞いたと。
臨終に立ち会うのはのちのちつらい思い出ともなる。緩和剤を用いていたから、最期まで苦しんだというわけではなかったけれど、今わの際のあの表情が、ひょっとしたときに思い出されるのだ。

22日、6カ月の差はあるが、月命日が同じになってしまった。

ハンコ押しは苦手

不得意なもののひとつにハンコ押しがあるな、と今日は改めて認識した。今日は6回目の月命日。朝から気分がすぐれない。つれあいの写真のまわりには、庭の薔薇をたくさん活けてある。つれあいが丹精したバラをお供えできて、気分はいいはずなのに。

6カ月もたったのに、まだいろんなことが残っている。その最大なるものが、相続関係の書類である。何も相続なんて仰々しい言葉を使うほどのことはないのだが、それでも相続人が複数いれば、それなりに書類は必要だ。

昨日、専門家からの書類が届いた。それを言われた通りにハンコを押すのが今日の最大の仕事だ。今日、押すハンコは実印だ。この実印というのが、若いときには実印をもつ年齢になった、とうれしかったのだが、今や、もう面倒な存在でしかない。実印を押すというケースがそれなりに重要な問題を意味していることを十分知ったからである。

母が亡くなった時、書類を作成する際、銀行員だった弟が、私のハンコ押しの下手さ加減にあきれかえった。どんなに練習していても本番の書類に押すときに失敗するのだ。「姉さん、僕がやるから」と言われて、ハンコごと渡してしまった。

それ以来というわけではないが、だいたいハンコを押さなければならない場合は、相手当事者には頼めないけれど、立ち会っている専門家のような人にハンコ押しをお願いする。銀行員が上手なことはもちろん、そういう職業のひとたちは、まずはハンコ押しのトレーニングをするのかしら、と思うほど上手である。

今日も失敗はあった。しかし、ハンコ押しを頼める人はいない。指示されたとおり、訂正のやりかたを実行する。ハンコのせいにもしたい。
もう実印を押さなければならないようなケースがないといいけれど。

卒塔婆の数え方

日曜日午後のNHK-FMの放送を聞いていた。辞書を編纂する職業の人が出演していたのか、大変興味深い話が聞けた。

辞書を引く、といえば、紙の辞書を想像するけれど、iphoneなどに入っている辞書を見るのも、立派な辞書を引く、行為になるという。そして望むべくは、そういった機器に一挙にいくつかの異なる辞書を並記されるようになることだ、と語っていた。

たとえに「花」という言葉についての紹介を、各辞書の内容を読みながら説明されていたが、なかなか面白い。

そして広辞苑や大辞林など、大型辞書のメリットを説明されていたが、我が家にある広辞苑でこの間調べたけれどわからないことがあった。

それは卒塔婆の数え方である。つまり、我が家は新盆、つれあいが埋葬されているお寺さんでは卒塔婆をお墓に立ててくださる。つれあいの長女がその申し込みをしてくれることになっているのだが、さて、どう数えたらいいのやらわからなかった。
そこで広辞苑を持ち出したのだが、数え方までの説明はなかった。

まあいいか、と1本というような表記にしたのだが、どうも落ち着かない。インターネット調べるというのは、あまり得意ではないのでやらない。
仏教徒ではないもので、という言い訳も美しくない。

今日の朝日新聞、天声人語に「ございます」の用法があったけれど、「思ってございます」、とか「考えてございます」といった表現に違和感をもっていたので、同感だった。
とはいえ、言葉に厳格であるのは、とても難しい。

主食・副食、なんだろう

先日、4月に受けた健康診断や栄養診断の結果が届いた。おおむね良好、と勝手に判断している。その検診を受けたとき、食事の内容についても1週間単位での細かい質問票にこたえなければならなかった。

この質問票、本当に答えづらい。だれの食生活が基本になっているのか、メニューなど、一世代も二世代も前のもののようだし、4人くらいの家族を対象にしているようにも思える。

いまどき、主食や副食と呼んで食事を分類するだろうか。私はあまり米を食べない。朝食はパン、それも小さな一切れのみ。昼、夜、ごはんは別にたべなくてすんでいる。特に夜、ごはんを食べると、満腹感がありすぎて、寝るまでに消化しきれない。それに一人暮らしになると、お米をたいて、ほとんどを冷凍にすることになるし、まずは面倒だ。

そんな実情を正直に書いていると、主食が少なすぎる、といわれる。以前、何かの本やらで、主食は少なめに、と言われていたこともあったような記憶があるのだが。

フランスなどではそれはパンをよく食べる。しかし、主食と認識して食べているのだろうか。映画館などで、上映の前に、広告上映があるけれど、35種類(数字は確かではない)の食品を食べましょう、などと出ているのを見て、おや、フランスでもこんなことを言うようになったか、と感心した。

それかといって、パリの代父の家では、35種類もの食べ物は出ない。お手伝いさんは自分が作りやすいものを作るので、いつも同じようなものばかりになる。
それに、パンの消費も少ない。代父が1きれ、2きれを食べるけれど、結局バゲット1本を数日かけて食べることになる。固くて食べられない、私は食べない、となると、いよいよ食べないことが多い。

私の食事バランスは、主菜が多すぎる、牛乳、乳製品も少し多すぎる、お菓子・甘いものも取りすぎ、なのだとか。牛乳・乳製品(チーズなど)は、カルシウムをとらなければ骨粗鬆症になる、と言われてとっているのだけれど。主菜が多いのも、主食をとらないから、おかずで補っているだけのこと。甘いものを禁じられたら、これは生きているかいがない。

と結局、今まで通りの食生活は変えるつもりはない。95歳の代父に酒をやめろ、長生きできないよ、と言うのと一緒だ、と思うが、ちょっと年代が違いすぎるか。

食べ物について、時代とともに、いいもの、わるいものが変わってくるから、そう気にしはしない。今日は、メインが豚とナスの味噌炒め、副菜には、蕪のスープ煮、もずく、紫タマネギの酢漬け、カボチャの煮物、そんなもんだ。ビールを飲めば、ごはんはいらない。食後はパウンドケーキ1きれ、栄養士さん、どんなものでしょうか?

高齢者の免許更新

6月は誕生月。今年は免許更新の年でもあった。ずいぶん以前に免許更新の案内があり、かつもう高齢者というので、講習を受けるようにという指示もあった。

講習は村(隣町かもしれない)にある運転教習所で予約した上で受けた。講義と実習、それに夜間と胴体視力検査であった。この講習がどんな意味をもつものやら、講習の成績如何では更新されないのかも、と受講者一同緊張したものであった。

これは義務ではあるが、更新を左右するものではない、というのでほっとした。というのも夜間視力と動体視力の成績の悪さがあまりにも著しく、自信を失ったからである。

受講証明書なるものを受けて、更新できる誕生月の1カ月前から、いつ更新に行くべきかを模索し続けていた。
そして、今朝、満を持して警察署へと足を運んだのである。

満を持してのはずであったが、睡眠障害のせいで、やはりよく眠れていなかったため、目はひりひりと、好天の日であるのはいいのだが、ドライアイもでてくる。頭もぼんやり状態だ。

隣町にある警察署で更新することができる。優良運転者なので、あまり大変なことはなかろうと予想しているが、制度はしょっちゅう変わる可能性があるので、油断はできない。

警察署の敷地内に小さな安全協会の事務所がある。もう2回ほど、更新や住所変更などの手続きで来ているので、土地勘はある。
都会と違い、人が少ないのは本当に楽だ。更新のお知らせはがき、高齢者の受講証明書、それに現在の免許証を添えて提出。

暗証番号というのをまた登録させられた。これは何の役にたつのだろう。前回も登録したけれど、何も質問をうけたり、記入しなければならないということもなかった。

視力の検査。これはびくびくものだった。もしメガネをつける必要があると判断されたときのために、先日、新しいメガネを作ったばかりだ。
でもなぜか、今回は視力検査もすんなりいった。裸眼でパスした。これだけが懸案であったので、ほっとする。

次は写真。これからの3年(高齢者にはもう5年はない)のために、昨日は美容院にも行ったし、今朝の化粧も念をいれた。しかし、その甲斐なく、示された写真は年相応。まあ、毎日見るものでもないし、とあきらめの心境だ。

更新の手数料は2500円。しかし、講習を受けたときは6000円以上の費用がかかった(はずだ)。これから高齢者の免許更新はだんだん複雑化するはずだ。
いつまで運転が可能なのか。これはこの更新が可能であるかどうかにもかかっている。しかし、80歳以上で更新を続けられるというのは、視力や認知能力のチェックがきちんと行われているのだろうか。高齢者初体験としては疑問に思うところである。

淋しい父の日

6月第三日曜日は父の日だ。これは日本のみならず、ほとんどの国でそうらしい。母の日は異なるフランスでも第三日曜日が父の日になっている。

フランスの父には時差を考慮してもっとあとで電話をするつもりだが、今日はとても静かで、メディアで父の日と言わなければ気づきもしない。

きっとつれあいの娘たちも寂しく思っていることだろう。父の日コールもプレゼントもなにもない。
つれあいはそんな義務的な行為をきらっていたけれど、やっぱり晩年は娘たちからのメール、電話、プレゼントがあると、まんざらでもない表情をみせていた。

今や、スカイプなどで世界どこにいても電話を気楽にかけることができる。なんという進歩だろう。時間を気にして、用件のみにて、でかけていた時代、もう過去のことである。
しかし、どんなに科学が発達しても、あの世へかけることはできまい。いや、タイムトラベルができるなら、もしかしたらできるようになるのかもしれない。

いづれにせよ、こちらが生きている間に可能とはならないだろうから、それは考慮にいれないけれど、こうも母の日、父の日と騒がれると、その日を祝えない、対象のいない人たちの身にもなって、と苦情を言いたくなる。

世の中からすべての記念日をなくそう、という運動でも始めるか、などと考えるのも、結構身勝手なことなのだけれど。


銀座4丁目和光前で待ち合わせ

南仏に住んでいたとき、時を同じくして同じところにいた知人たちと会食することになった。つまり、それぞれのつれあいが同じ職場にいたのだ。

もう20年以上前のことになる。だから、どんな経年変化が起きているか、お互いを見つけることができるかどうか、とても不安だった。

日時は言われたものの、会食するレストランのお知らせがない。どこへ伺えばいいの?とメイルで問い合わせ。返事は簡単なものだった。銀座4丁目角、和光前で。
それがいつもの待ち合わせ場所なのだそうだ。日にちだけ決めれば、場所と時間は毎年一緒。こんな待ち合わせもさっぱりしていいものだ。

銀座4丁目、便利なところである。一列車はやい新幹線に乗れたので、待ち合わせの時間より早めに到着。伊東屋へと行く。田舎ではなかなか入手できない文房具がいっぱい。もっと眺めていたいけど、と思いながら、必要な品を購入する。

会食が終わったら、三越もあるし、河合楽器もある。鳩居堂もある、とうれしくなる。

しかし、和光前の待ち合わせは簡単ではなかった。というのも、同じ目的の人たちが大勢いるのだ。20年ぶりに会うひとたちだから、待ち合わせでいる人たちの顔を一人ひとり見ていくと、睨む人もいる。笑いかける人もいるので、もしかしたらこの人も?とこちらも笑いかけるが、どうも違うようだ。ピンとこない。

時間ぴったりに到着したのだが、私が一番最初なのかしら、そうとなると、どこで待っていればいいのだろう。初めて参加の私はどこが正しい場所なのかわからない。

結局はどうにか人別もできて、4人がそろった。それぞれに経年変化はあるものの、20年前の面影は残っている。

4人くらいの人数だから、会う場所だけ決めておいて、食べる場所はそれから探す。銀座の真ん中、そんなに難しい話ではない。
しかし、20年ぶりの会話は食事だけでは終わらない。結局4時間をおしゃべりに費やした。せっかく銀座にいながら、とうとう買い物はできなかった。でもとてもいい場所での待ち合わせであったことは確かだ。来年の日を決めた。当然、同じ場所、同じ時間の待ち合わせである。

草津白根道路規制緩和

今朝の8時から、草津と志賀高原を結ぶ国道292号の夜間規制がとかれた。これは白根山の噴火規制が2から1に落とされたこと、それにより、火口から1キロ以内の立ち入り禁止が500メートルに減じられたことで、道路の通行が可能になったのだ。

先月末、万座温泉に友人と1泊した。アメリカから帰省している友人、時間が限られていたのだが、万座まできたのだから、せめて白根山の弓池あたりの散策を、と車で登った。
車が走っていない。朝まだ早いせいかしら?と思っていると、停車・駐車禁止の掲示板がある。駐車禁止はわかるけど、停車もできないの?とケーブルカー駅への入り口にいる男性に聞いてみる。

停車もだめです、という返事。それならUターンしてもいいですか?と聞くと、この場ではだめです、1キロくらい草津方面に下りたところにUターンできるところがあります、という。

火口湖見物でにぎわっていた駐車場やレストハウスも人っ子一人いない。噴火警報が出ているのだ、と実感する。結局、1キロほどおりたところに景色をみるための駐車場があり、そこでUターンをして、また万座に戻り、そのまま降りて軽井沢方面へと出た。

2週間早くこの規制緩和が行われていれば、と思うけれど、火山という自然を相手のこと、この判断もいろんなデータをもとに出されたものだろう。

我が家は北側にこの草津白根山、そして南側には浅間山という活火山がある。草津白根は山が見えるだけだが、浅間山は噴煙がみえる。噴煙だけでなく、時々、地鳴りというのか、かすかな震動も感じることがある。

火山のはざまに住む、という切迫感を覚えることはあまりない。一度、浅間の噴煙が激しさを増し、その規制線に普段利用している有料道路もひっかかってしまった。行動の自由を奪われたものの、さしたる恐怖はなかったけれど、火山というのは、御嶽山でもわかるように、突如として噴火することもある。

さあ、その時はどうしましょう、と規制緩和されたにも関わらず、かえって不安になり、つれあいの写真に問うてみた。

亡きつれあいへの報連相

亡くなった人への報連相はどうしたらいいのだろう。そんなのもともとが無理なんだから、考えるだけでも馬鹿馬鹿しい、と言われそうだが、亡くなったという事実になれないと、あれもこれもと報連相の種がある。

報告は毎日夕方、彼の部屋のふすまを閉める前にすませている。他愛のないことばかりだ。アヤメがよく咲いている、とか今日はお隣との境界線の周辺をきれいにした、などである。

やっぱり相談事が多い。まず、今年は初盆になるのだが、これについて、彼の意見を聞きたいのだ。お盆というと、実家などでは菩提寺のお坊さんがお経をあげにきてくれていたが、東京などではどうなのだろう。お盆に仏さんが帰ってくるというけれど、帰ってくるところはどこなのだろう。元住んでいたところなのか、それとも仏壇やお位牌があるところなのか。
つれあいだけが帰ってくるのならいいけれど、つれあいの前の奥さんとその先祖まで連れてこられてはどうしよう、などと考えている。

つれあいが去年までは仏さんに関することをすべてやっていた。だから、私が関与した部分は少なく、言われたことだけをやっていたので、なにをどうすべきか、きちんと覚えていない。

まず、お盆という行事にあまり関心がない。つまり、つれあいはお盆に帰ってくるというより、この家にずっと居座っているという感じがするからだ。

迎え火、送り火、あるいはナスやキュウリでなにか作って、というようなことも彼が望んでいるのか、望んでいても、私がやれるかどうかは別問題だけど。

あるいは、ご近所の奥さんが、私を励ますために、パン作りを一緒にしましょう、と誘ってくださったけど、あまりにエネルギッシュな方なので、ちょっとしんどいの、どうご辞退したらいいかしら?と意見をききたい。

会話のない夫婦であっても、一緒にいれば、こんなにいろんなことを報連相していたのだ、と今更のように気づく。ほとんどの場合、報連相しても、彼の意見など無視の場合が多かったのに。

1年間は行事のそれぞれにこういう思いをしていくのだろうか。1年たてば、彼の不在になれて、報連相の必要を感じなくなるのだろうか。

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