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今更の旧姓使用

私が非常勤(年数回程度)で働いている公的な機関からお知らせが届いた。職員の旧姓使用について、という文書である。

この旧姓使用については、一定の文書については平成13年10月から認められていたのだそうだ。それを平成29年9月1日から、拡大使用できることになった、というお知らせだ。

男女共同参画社会の実現に向けての社会情勢の動きに鑑み、という前置きがある。そんな動きがあったっけ、あったとしても、無視されてきたのではなかったっけ、と思った。

結婚するとき、姓の問題は一応つれあいと話し合った。話し合ったけれど、結論は決まっていた。相手の方が社会的に、姓を変えるということの影響が大きかった。別姓が認められていない以上、どちらかが妥協せざるを得ず、それは私であった。

つれあいの姓に変えて以後でも、ペンネームという形で、旧姓を使用をしていたけれど、社会的につれあいの配偶者として扱われることに、ずいぶん違和感は覚えていた。

こうして旧姓を使ってもいい、というお知らせが来るのも、私にとっては遅きに失した、と言いたいけれど、現役の人たち、これから社会人になる人たちにとっては、救いにもなるだろう。
しかし、これで共同参画が進んだと言われても納得はいかない。

今更だけれど、この動きを評価する、というためには、私も旧姓使用を願いでるべきかもしれない。
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2年ぶりにピアノ調律しました

今日は高崎からピアノの調律師の方が来てくださいました。2年ぶりの調律です。いつもだと、毎年していたのですが、去年は連れ合いの入院、死去もあって、とうとうしそこないました。

この家を建てたとき、銀座ヤマハで選んで購入したグランド・ピアノ、母からのプレゼントでした。そんなにピアノを弾くわけでもないのに、グランド・ピアノを持つというのは、乙女チックな夢で、その実現のために、この地にそれをいれるスペースのある家を建てたのです。ピアノが先か、家が先かといえば、ピアノへの思いが先でした。

ピアノ教師を一時していた従姉が、グランド・ピアノは調律の費用がアップライトとは比較にならないほど高いのよ、そして毎年1回はやるべきなのよ、と、舞い上がっている私に忠告しました。

いいの、そのくらいのことは覚悟している、と返事したのですが、高崎から来ていただく費用などもあって、相当の金額になるのを、最初はグランド・ピアノを持っているものの義務だ、と思っていました。

実際のところ、あまり耳がいいわけでもないので、調律前と調律後の違いを聞き分けるわけでもなく、一種の車検のようなもの、と覚悟しているだけです。

それにしても、つれあいが亡くなって、いろんなものを片付けしているけれど、このピアノ、どうしましょう、と考えてしまいます。ピアノは私のものだから、別にこのままでいいのだけど、家自体を片付けることになるときは?と、この頃は「弾かないピアノ、引き取ります」という広告をつい見てしまいます。それこそ、何も娯楽のない冬場、ピアノは数少ない時間つぶしの道具なのに。

調律後のピアノは、久しぶりにピカピカ。ピアノの周囲のガラクタも片付けているので、すっきりしています。
ピアノのふたを開けました。こんなに重かったんだ、と自分の力が亡くなったことを自覚しました。
今日から数日はピアノのふたを開けたままにして、思い切り音をだして弾いてみます。
ご近所迷惑でしょうが。

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釜山に行ってみようかな

10月九州へ行くことになっている。長兄の米寿祝いのためである。5人の兄弟姉妹が全員そろう。3人の姉妹の配偶者は亡くなって、未亡人3姉妹となっているが、兄と弟を加え、一応、血をわけた5人が全員健在だ。

5泊の日程を組んだ。お祝いの会食と、菩提寺、そして別の墓地にはいっている母の墓参も兼ねている。
弟がこの会食、あるいは墓参については、休暇をとって、アテンドしてくれる。

さて、3日間がフリータイムとなった。一人で動き回れる3日間だ。一緒に行動しようか、と言っていた次姉は、東京からの来客があり、帰宅することになった。長姉は高校の大同窓会(旧制中学や女学校を含めた同窓会)に出席するという。
私も同じ高校出身ではあるが、どうも大勢の中にはいりたくない。特に今年は賑やかな座が苦手である。

頭にひらめいたのは、福岡からフェリーあるいは高速艇で釜山に行ってみようか、ということだ。
あまり歩き回ることはできなくなったけれど、プサンあたりだと、そんなに大きい都会でもあるまい。

短期の滞在であれば、韓国はヴィザがいらないらしい。韓国へは一度行ったことがある。2001ねん9月のことだ。ホテルでニューヨーク、ワールドセンタービルの襲撃を見た。翌日、仁川の空港から帰るとき、空港が空っぽだったことを覚えている。

フェリーなどを使うと、その時のお天気が左右するから、今から予定するというのもなんだか不安だけれど、2泊3日の旅、どんなものだろうか。
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増築しようとする友人

近くに住む(別荘)親しい友人が、増築のプランを話してくれた。後期高齢者になったばかりの友人、ふつうだと減築が計画されるところだけれど、増築するという。

それも仕方のないことだ。というのは、彼の別荘はこじんまりしたもの。1階に一部屋、そしてロフトがついている。もう20年以上前に購入。夏場だけの別荘で、南側と東側に広いベランダを付け加え、昼間はほとんどそこですごすため、あまり不便は感じていなかった。

来客用には、偶然、隣地にあった家を購入して、渡り廊下を作り、行き来することができるようにした。

夫婦はロフトで寝起きする。そんな生活が20年続いたのであるが、20年、つまり夫婦とも年老いた。まず妻が膝を悪くし、階段の昇降を厭うようになった。特に夜中のトイレがつらい、と階下に折り畳み可能なベッドをいれて、ロフトは夫専用となった。

また夫も腰を悪くし、階段の上り下りがしんどくなってきた。下にもうベッドをおく場所はない。解決策として、2階にトイレを作ることも考えられたが、それも費用が相当かかる。そこで、出た案が南側のベランダを崩して、部屋を増築するというものである。

別荘を購入もしくは建築したころは、仕事は現役、階段の上り下りが不自由になるなんて考えもしなかった。我が家はそれでも寝室にトイレをつけることだけは考えた。
しかし、つれあいがいなくなって、無駄に広いだけのサロン、暖房費をくうだけだ。我が家は減築を考えている。

増築と減築、年齢を重ねて必要となったことだが、どちらにも費用効果の問題がある。友人は増築しても東京から来れなくなったら、それきりだ、と言い、私は減築しても、ここに住み切れないかもしれない、と、はたしてやるべきか、と迷っている。


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KKK(クー・クラックス・クラン)とアシュリー・ウィルクス

私がKKKの存在を知ったのは、1960年代であったろうか。定かに覚えていないが、アメリカで公民権運動が盛んなころのことだったように思う。
一方では公民権を主張し、黒人への権利を認める運動があり、それをかたくなに拒否する白人たちがいる、そんな情勢のなかだった。

南部の州のどれかは記憶にないけれど、白い衣服に顔も含んで、全身をおおった人たちが、黒人をリンチし、それを一種の祭典のようにしている様子をメディアでみたのだ。

その時の日本のメディアがその行動をどう判断していたのか、覚えていないけれど、こんなひどい光景がメディアに登場するのが信じられなかった。

その時KKK、クー・クラックス・クランという団体、秘密結社の存在を知ったのだ。
そのKKKがまた今、話題となっている。その詳細は毎日報道されているけれど、KKKという秘密結社が今も存在するというのが信じられない思いだ。

昨年、マーガレット・ミチェルの著作権がきれたというので、その著書「風と共に去りぬ」が新しい翻訳出版された。私は荒このみ氏の翻訳による岩波書店版(全6冊)を呼んだのだが、KKKについての感覚を思い出した。

そもそもKKKというのは、南北戦争後、黒人や北部人を威圧するため、南部諸州に結成された秘密結社だという。秘密結社の形をとる、ということは、表に堂々とでられないということだ。

しかし、「風と共に去りぬ」の中では肯定的に扱われている。これは小説であるし、南部側の立場で書かれたものだから、仕方がないのかもしれないが、この中で、憧れの男性、アシュリー・ウィルクスもKKKのメンバーだった。あの知性の塊のような、状況を冷静に判断する彼が、スカーレットが受けた暴力に対し、KKKとして反撃したのだ。

小説を読んでいれば、その行為も納得のいくものとなるけれど、考えてみれば、暴力に暴力で対抗する、まるで無法地帯である(当時は無法状態であったか、あるいは北部だけが正しいという戦後状態であったのだろうが)。

現在のKKKは黒人、ユダヤ人、カトリック教徒などを排斥する秘密結社でもあるらしい。

結局、WAPS以外を排斥する、人種差別主義の象徴なのだろうが、21世紀の現在も存在するということに驚く。が、日本でもまだ部落差別やハンセン病への無理解が存在するではないか、と思えば、人間の差別意識の深さを思い知る。

あのアシュリーさえも、というのは、私がたとえ完璧に知的な人である、と思える人でも、差別意識を持っているかも、という疑いをもつ根拠でもある。(知的とはいえない自分を弁解することにもなるが)。もう一度、マンデラの書を読み返してみよう。
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朝食時に朝刊を読むこの頃

1週間前くらいから、朝食をとりながら朝刊を読んでいる。それがどうした、と言われそうだが、とてもすばらしいことなのだ。

お盆休みごろになって、村の中心地にあるコンビニから新聞が消えた。というのは大げさだが、いつもより早めに新聞を買いにいっても、目的の朝日新聞がないのだ。毎日や産経は残っているのだが、朝日、読売がない。

お隣の先生には毎日新聞をお届けすることになっている。毎日があればいいか、とも思うが、自分の新聞がないのもつまらない。
ほかにどこにいけばいいのか、と考えたとき、北軽のコンビニならあるかもしれない、と思いついた。

北軽のコンビニには、大量の新聞があった。別荘族の数が多いのだ。わが村のコンビニも、結局別荘族あるいは、ペンションなどが泊り客のために買いにきているから、部数が足りなくなっているのだ。

北軽のコンビニにしても、何時頃までなら新聞があるのか、それはわからない。そこで、確実に入手するため、朝、起床後すぐに買いに行くことにした。往復13キロ、もちろん車ででかける。細い道なので、スピードはだせず、往復30分はかかる。

まずはお隣に新聞を届ける。自分用の新聞を食卓において、朝食の準備をする。テレビニュースもみながら、新聞をゆっくり広げる。一人きりの食卓、大きく広げても文句を言う人はいない。
至福の時間である。

これまで、9時前後に新聞を買ってきて、結局、読むのは昼ご飯を食べながら。出かける用事があると、夕食時にということも珍しくなかった。

自分だけのためなら、こんな律義なことはしないのだが、お隣の分もあるとなると、雨が降っていてもがんばってしまう。

夏場はいい。しかし、秋、冬もこうして買いにいくことができるだろうか。友人は早くアイパッドを手に入れて、それで読めるようにしたらいい、という。そうなのだ。1部150円、月に4500円にもなるというのに。倹約、倹約と呪文を唱えているというのに。

生活も変わりつつある。ペーパーレスに慣れていかなければ。と思いつつも、朝のコーヒーを飲みながら、大きく広げた新聞を読むのはいい気分である。
宅配サービスはこの辺の別荘地ではない。軽井沢でもそうらしい。
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盂蘭盆も終わる

今日は盆の終わり、送り火を焚く日だ。迎え火も焚かなかったから、送り火もない。

新盆なのに、と言われているような気もする。それをご存知の方が、お参りに伺いたい、とお電話を下さった。

困ってしまった。我が家は、というのかつれあいは東京にお墓があるから、東京のお盆で行事をしていた。7月である。どうも感じがでなかった。そもそも、仏壇は立派なものがあったけれど、お盆のお飾りなどはなく、ただ、仏様に食事をお供えし、いつもはすぐに消すろうそくや線香をずっとつけていたくらいのことだった。

仏壇にある仏様は、つれあいの先妻、それにその実家の両親のものであった。つれあいは長男ではないので、そちらのご先祖はお祭りしなくてもよかったのだ。

私はクリスチャン、どうもお盆をお祭りするのがしっくりこない。それに7月盆ですませた気分であるのに、テレビなどでは8月の盆しか扱わない。

新盆のお参りにきたいという方には、我が家は7月にすませているし、仏壇もないこと、なによりも私自身の体調が悪く、お相手もできないとお断りをした。

なんでなのか、7月盆につれあいが帰ってきたのやら、それとも8月にしたのやら、私にはわかりようもない。ただ、どちらにしても気分が落ち込むだけだった。
テレビなどではお盆の行事を大きくとりあげる。まるで日本全体が仏教で、全員が盆の行事を尊んでいるように。

死者を思い出すにはいい折なのかもしれない。それに死を見つめるにも。無縁骨というのもあるが、この頃では有縁の人でも、その骨壺を納めるお墓がなくて、お寺さんに預けるケースが増えているのだそうだ。それも持参するのではなく、送骨という手段によるのだとか。

いろんなケースが紹介されるけれど、さて、自分のことを考える機会にもなる。どこにも居場所はない。実家の墓は菩提寺、お寺さんには入れない。母の骨が納められているのは、母が所属していた教会の納骨所である。

散骨に決めているのだけれど、これを執行してくれるはずの弟に徹底しなければならない。弟はすこし考えが古い。この散骨というやり方を納得してくれるといいのだが、きっと子供がいないという私をかわいそうに、などと考え、別のやり方をとりそうな気がするのだ。
別にかわいそうと思う必要がないことを説得しなければならない。
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8月14日と15日

日本にいると、8月のこのころは、盆休みと称したり、8月15日平和を祈念する日として、なかなか重たい1日だ。

日本では第二次世界大戦の終戦記念日と称する。終戦なのか、敗戦なのか、事実上は敗戦だろうし、「日本は負けた」という誰にもわかる表現ではないにせよ、ちゃんと敗戦とわかる天皇のお言葉もあった。

フランスでは第二次大戦は5月8日である。第一次大戦の終戦記念日は11月11日、休戦記念日という。が、5月8日は勝利記念日と、きちんと勝利をうたっている。法的なことが絡んでいるらしい。

敗戦だからなのか、国家の休日とはなっていないけれど、戦没者慰霊祭もあるし、お盆休みの間でもあるし、なんだか働く気にはなれない1日だ。

フランスの機関で働いていたとき、8月15日は休日だったことがある。「フランスでは日本の敗戦を祝うんだ」と言われたことがあった。そうではない。カトリックで大事な祝日なのである。マリア被昇天祭、つまりキリストの母マリアが亡くなられた日なのだ。

今朝、BBCの放送を見ていると、インドとパキスタンの独立記念日という話題がでていた。これらの2国、第二次大戦終戦から2年後の1947年8月14日にそれぞれ独立したのだそうだ。

ヒンズー教徒のインドとイスラムのパキスタン、イギリスの植民地から別々の国として独立したから、国民の移動が大変だった、そんな光景を映していた。
別に1947年の記憶があるわけではないが、その混乱については、長く話されてきたから、私にも記憶がある。

パキスタンなど、東と西に国土がわかれ、不便なことだろう、と思っていたが、東パキスタンは1971ねんにパキスタンから独立して、バングラデシュ(人民共和国)となっている。

8月14日と15日は実に歴史的な日なのだとわかった。それに、8月15日はまた、ナポレオン誕生日でもある。そして大切な友人の誕生日でも。
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香害、いわれて納得

この頃、香害という言葉が言われるようになった。香りに反応して、気分が悪くなる人がいるのだそうだ。
以前はこれが害になる、とはわからなかったことが、この頃ではきちんと分類されるようになった。ハウスシックなどもその一つである。

私も年齢とともに、香りに敏感になってきた。若いころは香水をつけ、化粧品香料のきいているほうが高級品と思っていた。海外旅行ともなると、何オンスだったか忘れたが、制限いっぱいの香水を買うこと、それも楽しみの一つだった。ジョイだ、Bal a Versailles(バラヴェルサイユ)だ、超高価な香水を持っていることが自慢でもあった。

もう20年近く、香水はつけない。つけなくなると、人の香水が気になる。気になるというのはいやなのだ。高級品をおいておや、だ。それこそつれあいの毎日使っている整髪剤がいやで、無香料のものを使ってもらっていたけれど、それでも臭う、使わないで、と文句をいってはおこられた。

洗濯洗剤も、体を洗う石鹸も、あまり香りのないもの、なるべく自然のもの、をこころがけている。

一番反応が厳しく出るのは、やはりタバコである。日本ではまだ喫煙に甘い。田舎に住んでいると、禁煙席を設けているレストランや食堂が少ない。せっかく入ったレストランで、分煙すら行われておらず、息を半分止めながら、食事をそそくさと済ませなければならないときの、みじめな気分。

一つ、山の中に住む救いは、夜の空気である。木々のもたらす甘い空気、これがあるから、もし悪臭にさらされても、生き延びていける。
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負動産となった別荘地

8月12日付の朝日新聞の一面をみてびっくりした。「別荘地、投げ売り10万円」という見出しである。別荘地のことか?と中の記事を読んでいくと、そうではなかった。とはいえ、ほっとした、とはならない。

この記事で扱われているのは、伊豆半島という。300平米の土地を1991年に1300万円で購入、そして今年3月、更地のまま10万円で手放した、という。今では大分県に在住で、仲介した不動産屋に、手数料や宣伝費などで21万円支払ったというから、10万円の売却とはいえ、11万円のマイナスである。

わが別荘地もそんなものだ。長くほったらかしで、草はぼうぼう、境界線もさだかではない、という土地ばかり、家がたっていても、長年空家で、屋根ははがれ、壁もこわれ、土台から傾いているという崩壊寸前の状態になっている。

今般、亡きつれあいの土地を私が相続したけれど、その価格たるや、悲しくなるほどの下落ぶりで、もちろん相続税の対象にもならず、また毎年の固定資産税も必要ないという価格である。


不動産は財産、の意識がこわれたのは、何年くらい前からだろうか。リゾートマンションなどは、特にそれが顕著らしい。自分で所有するより、会員制のリゾート施設を、制約つきでも、少し割高でも、年間のある期間を使った方が気楽、という人、特に年配者に増えている。

別荘というのは大変だ。管理だけで気力が尽きてしまう。現役時代は、お金は天下のまわりもので、経費がかかっても、そんなものだ、と思えたものだが、退職して、年金だけの生活、ということになると、なんてこんなに経費がかかるのか、と悲鳴をあげる。
管理費だけではない、来るたびになにかの故障が生じる。寒冷地であれば、水道やボイラーの故障は頻発する。

我が家もいつ、手放すべきか、手放せば住む場所がなくなる、でもこれで10年後ともなれば、買い手はつくまい、と日々、悩む。それでも草取りにははげむ。手入れされていない家は、決して売れないからだ。

バブルは二度と経験したくないけれど、夢をみる時代でもあった。夢であって、現実ではないが。
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