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蚊のいないヴィレッジ

久しぶりの熱帯。マイナスのわが家から30度を超すところへ。気温差も気になるけれど、アフリカで経験したような、虫への恐怖もある。
プールサイドですごしましょうね、と招待してくれた友人は言っている。アフリカにいたとき、自宅のプールサイドですごしていた人たちが、ちょっとの油断で蚊にさされ、マラリアに罹っていた。

そんなことになったらどうしよう、とマラリアの薬はないけれど、ムヒやらキンカンやら、虫刺されの薬を持参していた。

ところが、これは一度も使わずにすんだ。こんなことがあるだろうか。

滞在型の部屋のみならず、ホテルの敷地全体、熱帯の木々と花々で緑いっぱいである。ところどころに池や流れ、溜水がある。ボーフラが湧くのは簡単だ。
一方、部屋の一部に網戸はあるけれど、サロンからベランダに通じる背の高いガラスの扉の部分には、網戸はついていない。友人は朝、全部を解放して外の空気をいれている。朝は冷やっこいし、蚊がいない時間かもしれないが、ちょっとびっくりだ。

アフリカの経験からいえば、網戸は必須、それでもドアの開閉時なのか、必ず蚊ははいってきて、就寝しているとき、羽音が聞こえて眠れないのだった。部屋が大きかったこともあるが、蚊取り線香はきかず、眠れなくて困った。

それにマラリアの恐怖もある。油断一刻でマラリアの高熱に苦しんだ知人は多い。ここでマラリアになるのもいやだな、と思ったのだが、だれも心配している様子がない。

蚊への対策は万全?だった。2日に1回くらいに、薬の散布がある。1階でしているのに、4階建ての最上階まで、その薬の噴霧が届く。ベランダに干しているものをひっこめ、ガラス戸をぴったり閉めるけれど、これだけの効力を示す薬の残余効果(生き物に対するマイナスの)はないのだろうか。

環境問題にうるさい欧米人も来ているのだから、ホテル側としてもそういったことに、十分配慮してのことだろうが、虫もいないホテルにかえって不安もある。(ヤモリはいたけれど)

しかし、アフリカにこれだけの虫対策をしてもらったら、マラリアやその他の熱帯の病気はずいぶん減ることだろう。

我が家、マイナスの朝からプラスの昼間、ちょっと暖かくなったと思ったら、早速虫たちが動き始めた。油断大敵だ。

タイ式マッサージ

海外、それもアジア系の国に行くときの楽しみの一つに”美容”がある。日本ではとても高くてフェイシャルやボディのケアなどできないでいるが、アジアの国だと、割と気楽にいけるのだ。

それを最初に体験したのはバリ島である。女子会での旅行、まずはエステが目的のなかにはいっていた。個人的に依頼したガイドさんの紹介で、町中のオープンしたばかりの美容室にいった。
温石での背中のマッサージ、施術のあとの薔薇風呂、なにもかもが気持ちよくて、はまってしまった。といっても、それは1回きりのことだが。

次にいったのは、つれあいと旅行したアンコールワットである。いやがるつれあいを一緒に、バリで経験した温石マッサージを楽しんだ。このときはさすがにバラ風呂ではなく、シャワーであったし、バリでの印象が強すぎて、そこまでの感激はなかった。

さて、プーケット。期待は大きい。ホテルの美容室から案内をもらってくる。いろんなコースが書いてあるけれど、具体的な内容ではなく、抽象的な名称がつけられているので、どんなものなのか、ちょっと見には理解できない。
金額的にもけっこうお高いのはプーケットという土地柄かもしれない。なんせ、高級リゾート地なのだから。

友人と相談して、ここでしか(タイ)経験できないものがいいだろう、とタイ式マッサージを選ぶ。もちろん、日本でもあるのだが、まずはタイで体験してみよう、というわけだ。
90分のコースを選ぶ。強さはどのくらいにしますか?という質問。友人の夫から、首や腕、足をぼきぼきやられるよ、と脅かされてきたので、ミディアムで、とお願いする。

気持ちよかった。日本でも時折、マッサージにかかるのだが、隔靴掻痒というような感じで、もうちょっと押してください、というところを、タイ式ではぐいぐい押してくる。これ以上押されると、と恐怖を感じる寸前でおさまるのがミディアムなのだろう。
いつもいわれる揉み返しというのはなかった。

予算の関係上、今回はマッサージのみでの体験だったが、こんなに熱帯のアロマのある場所、アロマのフェイシャルもやりたい、という友人の願いは次回、プーケットにきたとき、ということになった。

インドやスリランカでのアールユーベーダーというのか、そんな施術も試してみたいと、オールド女子会のメンバーは美老女へのあくなき欲求を持っている。

ほほえみの国、癒しの国

今回のタイ旅行、気づいたことは、安らぎの国であることだ。仏教国ということもあるのだろうが、挨拶が手をあわせ、拝む形である。拝まれるほどのえらい人物ではないけれど、そんな挨拶を受けて、不愉快になるはずがない。

そして、結局現業部門というか、空港でもホテルでも、ショッピングセンターでも、接するひとたちが若い。若くて美人だったり美男だったりだ。笑顔がよければ美しく見えるというのは本当なのだ。

さらには、アジアの人たちだから、そんなに大きくない。上から見下ろされる心配がなく、同じ目線での会話ができる。
タイ語はわからないけれど、わからないから、わからなくても劣等感を抱かなくてすむから、平気で聞き流せる。これはあまりいいことではないだろうが。

ルームクリーニングは毎日、午後の時間帯だった。2時すぎにきていたようだ。時には午前のプールが12時すぎになり、それから部屋で昼ご飯を食べていると、クリーニングの時間とバッティングしてしまう。もっとあとで来てくださいと頼むと、わかりました、と笑顔で引き上げる。

他との比較ができるほど、ホテルライフの経験はないけれど、日本だったりすると、クリーニングの時間帯が決まっていたり、順番を変えるといったフレキシビリティーがなくて、こっちのほうが妥協しそうだ。

ホテルのスタッフというのは若年定年制なのだろうか。本当にすべてのスタッフが若い。プールなどのスタッフが若いのは仕方ないか、と思うけれど、どこでだれと会っても若い。

わが村で、あんなに若い人たちの群れに会ったことがないので、そう感じるのかもしれない。また客も若い。こんなに若い人たちがなぜ、高級ホテルに来れるのだ、と年寄の私は思う。こちらはようやくこんなホテルを利用できるようになったというのに。

どこでも、いつでも笑顔に会える。そんな安らぎを得た1週間、貴重な体験でした。

プーケットってどんなとこ?

タイには40年以上前に行ったことがある。半年、ヨーロッパを一人旅し、帰途を南回りで、ギリシャ、スイス、イタリア、タイと途中下車(下車ではないか)して日本に帰るようにしたのだ。

タイには姉の知人が数家族いたので、その方々を頼りにバンコクへと寄ったのだ。40年以上前、なんの役にもたたない記憶、記憶すら残っていない。

今回はプーケットにバンコク経由ではあるが、空港から直接国内便でプーケットに行く。そして帰りも同じコースだ。だからプーケットのみが目的地となる。

はじめて土地、死ぬまでドキュマンタリスト(調査員のようなもの)を自称していた私としては、渡航前にすべての情報を入手すべきところである。ところが、その気にならない。今回はおんぶにだっこ、チケットの手配は同行する友人に依頼、そしてプーケットについては、招待してくれた友人たち頼りで、ガイドブックも、ウィキペディアもチェックしない。真っ白といえばカッコいいが、無知な状態でのプーケット行きであった。

空港に到着したときにはもう日は暮れていた。だから、リムージンに乗っても周囲はあまりはっきり見えない。空港を出て、高速道路らしい道路を走るが、周囲は市場なのか、小さな電灯がたくさnともっている。屋台の店もたくさんある。
これがカーバイトの灯ならアフリカと一緒だわ、とつい思ってしまう。

着いたのは欧米資本の豪華ホテルだ。作りはこちら風。清潔だ。会う人ごとに手をあわせて、歓迎のことばを述べてくれる。ここが調査不足の極みだ。ありがとう、こんにちわ、すみませんが、といった表現は、かならず現地の言語をマスターしていくようにしていたが、今回はなんの準備もない。

友人たちは逗留型の部屋に住んでいる。キッチンや洗濯機も備わっていて、自炊もできる。彼らは食事のほとんどを自炊している。

結局、7日間の滞在中、ホテルの敷地外に出たのは、、セントラル・フェスティヴァルというデパートやブティック、食堂がある施設に行ったときだけであった。タクシーをたのんで往復したので、地元の路線バスを使うこともない。

とうとう、プーケットがタイの国内のどこにあり、プーケットの町の様子もなにもわからないままの7日間だった。この無気力さ、なんなのだろう。
プーケットはあの大津波の被害のあった土地でもある。数年たったとはいえ、まだその惨事の痕が残っているところもあろう。以前なら、そんなところを訪れて、追悼の気持ちを表したものだ。寺院でもいい、もし教会があればそこでお祈りもしただろう。

ところが、今回、友人たちも進めなかったとはいえ、私自身が自分だけのことにかまけて、他人に気を配ることができなかった。

熱帯の木々や花々からでる甘い香り、湿気を含んだ朝の冷たい空気、まず鳥から始まった次はセミ、そんな合唱が楽しめる朝の音楽会、ゆったりした従業員の所作、なにもかもが心休まる雰囲気だけはわかったけれど、もっと活力や生活というものを見るのは今回は避けた。

もし、次回というものがあれば、どんなところか、探訪してみたい。

つれあいの結婚指輪

今回の旅行、少しぼんやり気味の私、余計なものは持参しないと、アクセサリーはゼロ、時計さえつけていない旅行とした。つけているのは結婚指輪だけ。本来なら、この指輪も外しているのだが、指輪なしではあまりにも寂しいか、とつけていた。

つれあいのことは話題になる。そのたびに泣いてしまう私に、友人は「なんで泣くの?」と聞く。なんで泣くのだろう。彼がいないから。離れて旅行しているのだから、いないのは当然。やっぱりこの世にいないのが寂しいのか。

友人の一人も5年前に配偶者を亡くしている。その彼女がアドヴァイスをしてくれる。遺骨のひとかけをペンダントに入れている人もいるし、写真を入れている人もいるけど、指輪を金のチェーンに通してペンダントにする、っていうのはいかが、というのだ。

我が家は二人とも結婚指輪をあまりしなかった。結婚してすぐに指輪を作ったものの、つれあいは日本に帰るとすぐにはずした。日本では男の人は指輪をしていなくても変に思われない。外国では既婚者にはマストであったけれど。

仕事を離れ、この山の家にひっこんでからは、庭や畑の仕事には邪魔、とつれあいも私もほとんど指輪をはめないし、つれあいの指輪はケースにいれ、私が保管していた。

さて、こうやってつれあいが亡くなってみると、この指輪、どうすべきなのか。アクセサリー類のなかに一緒にいれておくのか、つれあいの思いでの品と一緒にしておくのか。

ペンダントにするのはいいのかも。ただし、指輪は立体形であるから、変に肌にくいこんだりするかもしれない。
ただ、この頃は金の細いチェーンでも疲れるようになっているし、時に金アレルギーもでてくる。つれあいの指輪をしてアレルギーがでると、つれあいのせいと思えたり。
それに、チェーンからはずれてしまう、なんてことがあると、紛失の危険性大だ。

試すに価値ある助言である。

プーケットの夕日

プーケットにようやく到着した。何事もなくホテル差し回し(かっこいい)のリムージンに乗れるはずだったが、我々女子会メンバーはそれではおさまらないようになっている。バゲージ・クレーム、国内線で待っていると、最期の最期に、あなた方は国際線のバゲージ・クレームの方だ、と言われる。

国内線と国際線が別建てとは知らなかった。バンコクの空港で国内線から搭乗だったから、もう国内線で荷物も扱われている、と信じていたのだ。

こんなトラブルで、空港から出るのに時間がかかった。待っているはずのリムージンがいない、とこれも慌てる。まあ、結局はリムージンがいたけれど。

そのリムージンに乗った時はもう疲労困憊、ぐったりなって、空港からの景色も見る気力もなかった。もう夜になっていたこともある。

ところが、正面に大きな月、まん丸の月が見える。えっ、これお月様?こんなにまん丸なんて満月?と月齢に関心がないので、その夜が満月なのかどうかも知らなかった。

きっと歓迎のしるしよ、と舞台装置の一つのように思ってしまう。そんなに完璧なお月様だ。
正面から右側へ、そして少し後方へと月が移動する。そしていつの間にか、また正面へ。車の方向が変わっての月の移動なのだろうが、前後左右(左右はないか)に自在に動いているようだ。

市街地といっても、平屋の民家ばかり、あるいはヤシやゴムの林が続いている。低い位置にあるお月様がいつまでも我々に同行だ。

と月の話を滞在中の友人に聞かせると、ここは夕日がとてもきれいなのだよ、という。海に沈むのだそうだ。日の出は朝起きができないから苦手である。夕日なら大丈夫、日没をみようということになる。海岸線は9キロもある。お好きなところでどうぞ、とのこと。

翌日は快晴、夕方までお天気なら、日の入りをみることができるだろう。期待は膨らむ。満を持して迎えた夕刻、ここは南緯何度かは知らないが、やはり年間を通じて日の出、日の入りの時間にあまり差はなさそうだ。
6時15分くらいに海岸へと足をはこぶ。我々だけではない。大勢の観光客が待っている。砂浜からすこし上の芝生には、ビーチデッキを運んで、ちょっと年齢の人たちが。砂浜には子供恋人たちが。それぞれにベストポジションを選んで待っている。

カメラレンズを通してみる夕日のポジションは、実際のポジションと少しずれがある。まだまだと思っていると、カメラではもう日没寸前になったりして。
波に映る太陽、太陽が2つも3つもあるようだ。日没寸前にでるという「緑の光線」は見られるだろうか。期待は高まる。

これまでに見た日没では、ルクソールの王家の谷のものが最高だった。これだけは天気と舞台装置、そして望ましいのは一緒に見る人、3大条件である。

最後の瞬間は、丁度雲がかかっていて見ることができなかった。ほんの数センチ、というところなのに、と文句をいうが、人為のことではない。

砂浜の恋人たちの姿もすこし闇にかくれてきた。私たちも部屋へもどりましょう。

1週間の滞在中、日の入りを見ることができたのは、その日だけだった。でも、プーケットの夕日、これはしっかりインプットされている。満月は限られるけれど、夕日は毎日、チャンスは多い。

また来年にみましょうね、と友はいう。また来年もこの地にこれるのだろうか。

ただいま、あなた

1週間の旅行から帰ってきた。無事に帰ってきたのだから、何事もなく、と言いたいけれど、小さいトラブルというか問題はいくつもあった。

今日は後泊をしたホテルからローカルの路線を使って、午後早くに帰宅した。1週間、雨戸を締め切り。お天気はいいし、早速雨戸をあける。
春の日差しがつれあいのベッドに注がれる。「あなた、ただいま、無事に帰ってきました。淋しかったですか?寒かったですか?」と写真に問うと、「お帰り」という声が聞こえそうだ。

庭の半分以上、まだ雪に覆われているけれど、軒下はもう乾いている。出発時に1輪だけだったフクジュソウがあちこちに花開いている。クロッカスの小さな花が群れになっている。

こうしてつれあいを残して昨年も旅行をした。でも、昨年はまだ生身で帰りを迎えてくれた。旅の話もできた。今回も旅先での楽しかったこと、トラブったこと、南国の花、マンゴーの木、早朝に啼く鳥たち、いろんな話をしたいのに。

友人たちとの1週間、にぎやかな食事だった。急に一人に戻って、また寂しさが戻ってくる。あなたは一人で平気でしたか?と、毎年、フランスやあちこちに私一人で旅行して、つれあいを一人残していたことが後悔される。今更なにを言っているのか、とつれあいに言われそうだ。

私は戻ってきたけれど、あなたは戻ってこない。三途の川を戻っていらっしゃい。泳ぎは下手なあなただけれど。

あなた、まだ旅行に行くのは早すぎますか

月曜日から1週間の予定で旅行に行く。そのため、今朝はスーツケースの準備をした。昨日までに一応の支度はしていたので、それを宅急便に預けにいくのだ。忘れ物もあるだろうが、もうこれまで、と閉じた。鍵をいれた箱のなかから、スーツケースのかぎを出す。

ところが鍵がかからない。マグネット式のかぎだ。おかしいな、マグネットが効かなくなったのか、といろいろ試みるがやっぱりかからない。どうしよう!!別のスーツケースに入れ替えなくちゃ、と考えを切り替える。その別のスーツケースをみて、マグネットのかぎがそれ用だったことに気づく。

探している鍵は何処に?なかなか見つからない。さんざ、探した結果、気が付いた。旅行用のものをいれた(パスポート外貨をいれた財布など)袋にはいっているのではないか?はいっていた。

ほっと一息ついた。まずはこのスーツケースを宅急便に託して、1件落着としたい。

2つ目のトラブル、これはメガネである。ついさっき、新聞を読み、メモを書き、使っていたはず。ないはずはない。とテーブル近辺を探し、そのほかのところも探すけれど、見つからない。なくなったはずはない。
これももし、みつからないなら、先代のメガネを使えばいい、と気持ちを切り替える。それでもあきらめきれず、車のなか、そのほか、ありとあらゆるところを探してみる。
結局、隣の椅子の2枚敷いたクッションの間からみつかった。

もしかしたら、つれあいの意思が働いているのか?旅行に行ってほしくないのだろうか。ちょっと待ってほしい。1月、2月は寒いから、一人残しているのはかわいそう、とずっと家にいたのよ、3月、今日はフクジュソウも1輪咲いたし、春っぽくなってきたでしょう、お留守番してよ。女子会で出かけるのだから、嫉妬しない。

心残りはある。しかし、家にいると、過呼吸、吐き気、頭痛、だんだん体調が悪くなる。少しだけ、気晴らししてきます。

ボン・マルシェ、日曜オープン

パリの左岸、リヴ・ゴーシュにボン・マルシェというデパートがある。ボン・マルシェという言葉からいえば、安価な、お買い得商品を扱っているデパートか、と思うけれど、いやいや、高級デパートである。

地理的に不便なこともあるのか、リヴ・ドロワットのプランタンやギャルリー・ラファイエットなどより、人は少なく、ゆっくり品定めができるので、もっぱら買い物のときには利用する。

このデパートの会員カードを作ったこともあって、ネットでご案内がある。フランスらしいしゃれた商品案内があるので、楽しみにもしている。

今日は、びっくりする案内があった。明日からであろう。すべての日曜日、開店するというのだ。11時から20時までの開業だとか。

おそらく、隣にあるグランド・エピスリーという食料品の建物もオープンするのだろう。
パリに行っての時間つぶしをする場所ができた。日曜日はどこにも行けないでいたのだ。もちろん国立の博物館美術館はあいているけれど、人が多いところには行きたくない。

教会のミサのあと、日曜日はつまらなくすごすのが常だったけれど、これで時間つぶしができる、というものだ。

次回のパリ行が楽しみになった。

フランスで競技かるた

南仏に親しい仏・日カップルのご家庭がある。マダムが日本人、娘が2人いる。中学生と小学生くらいの年齢だろうか。

つれあいを通じてのおつきあいだったが、つれあいはフランスに行かず、私は毎年、南仏にも巡礼としょうして足を運ぶので、ついつい、私の友人みたいになっている。

或る時から、娘さんたちが日本語のものもしっかり読め、特に長女は日本の現代作家のものをよく読んでいるということを知った。
話があう、と時折、彼女の好みそうな本を送っていた。

そして、最近の片付けブームの中で、小学校時代に母に買ってもらった百人一首を送ってあげよう、と思いついたのだ。
早速メールをしてみた。結果、すでに遅し、であった。つまりもう数年前に購入したとのこと。

聞いてみると、数年前に「ちはやふる」という漫画が流行、それに娘たちがはまったのだとか。そして競技かるたに挑戦しているという。エックスに競技かるたを教える人がいて、週に3回も通うほどの熱の入れ方だったとか。

マルセイユで行われたポップカルチャーイヴェントでは、袴姿で、競技かるたのデモンストレーションをやったらしい。

私にも競技かるたをするのか、聞いてきた。とんでもない。こちらはただただ読んでとるだけ。この頃は字がよみとれなくて、手元の札もとられてしまう。
それに、学童保育では、めずらしく百人一首をやります、というので予習までしていったのだが、それは坊主めくりだった。

昔、フランスの機関で働いていたとき、日本語を学ぶフランス人を我が家に招いて、百人一首で遊んだことなども思い出す。日本人にはハンディキャップをつけていたが、方向の違う仮名を読み取るのは難しいらしく、フランス人はせいぜい1、2枚だったが、楽しんでいた。

4月にフランス行きを予定しているけれど、渡仏前にフランス語より百人一首を覚えなおす必要がありそうだ。
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