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5年ぶりにゴルフをするぞ

友人が訪ねてくることになった。ゴルフ好きの友人だ。本人いわく、プロを目指したけれど、挫折した、のだそうだ。
折角だからゴルフしない?という。私はといえば、もともとゴルフは避けていた。テニス派であった。しかし、アフリカでの生活や、当地に引っ込んでの日々に、ゴルフをすることも仕方ないか、とつれあいにあわせてたしなんだ。

年をとって始めたし、運動神経はあまり発達していないから、百獣の王どころではない、ハーフで。。。と数えるのがいやになるほど打つ。
つれあいに言わせれば、コストパーフォーマンスがいい、という。打数が多ければ、ゴルフフィーは安くなる。

つれあいが圧迫骨折や肺の病気で体調を崩してから、ゴルフとは縁を切っていた。あまりにひどいゴルフだから、つれあいとでなければ、プレイできないのだ。

友人の誘いはうれしい。気の置けない友人だから、今回はカウントもしないし、練習のつもりである。

5年もブランクがあるので、ゴルフ場の電話番号すら手元にない。車で5分もいけばいいので、直接出かけた。フロントに女性がいるので、声をかけると、なんと、いつも応対をしてくれていた女性である。

覚えていてくれた。この女性、つれあいがとても気に入っていた。応対がとてもきちんとしていて、気持ちのいい方だ。つれあいが亡くなったことを告げると、私の手をしっかり握ってくれる。
お辛かったですね、と短いが心のこもった言葉。

結局、薄暮ということで、まずは9ホールを回ることにした。天気予報は晴れだ。時は秋、1000メートルをこえる高度だから、紅葉ももう盛りを過ぎているかもしれない。
どんなゴルフになるのやら。つれあいが生きていたら、あきれ果てるゴルフになることだろう。
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偉人も大変

昨日(10月19日)付けの朝日新聞に、「英雄三の撤去、渦巻く賛否」という記事が文化・文芸欄に載っていた。
1カ月ほど前になるだろうか。トランプ大統領の発言や、KKKを信奉する人たちと人種差別に反対するグループとの対立などで騒動が起きたとき、南北戦争時代の南部連合の英雄リー将軍の像を引き落とすというような行動が映像で流れた。

この記事によると、バージニア州シャーロッツビルやメリーランド州ボルティモアなどで、リー将軍などの像が搬出されたという。

今、全米で、公共施設にある南部連合の英雄像や記念碑を撤去する動きがあるのだとか。

この動き、アメリカだけではないのだそうだ。フランスでも起きているという。これももう1カ月以上前のことになるだろうが、フランスのニュースをみていたら、コルベールが標的になっているという。コルベールは、ルイ14世のもとで、財務総監を務め、重商主義政策を実施、絶対王政の基礎を固めた人物だ。

また奴隷貿易にも関わっていたらしい。そこが人種差別のもととなった、というような意見がでてきて、彼の評価を変えることになってきたようだ。
そこで、パリの国民議会にあるコルベールの像を撤去しよう、させようという動きがでてきたのだとか。

ナポレオンもその標的になっているという。フランスの教育制度の父ともいわれるフェリーもやり玉に挙がっているそうだ。

旧ソビエト連邦が崩壊したとき、もう独立してしまった連邦構成国にあったレーニン像が次々に倒されたシーンを思い出す。

時代が変われば英雄も英雄ではなくなる。現代では韓国でみられるように、大統領であった人物が罪人になる、というような劇的なシーンは、アフリカなどではざらにみられる。

歴史の流れのなかで、過去には人種差別や同じ人種のなかでの差別もあったろう。それを現代でも是認することはあり得ないが、当時の政治家にそれを望むことは酷なように感じる。
それを求めていいのは、宗教においてではないだろうか。

さあ、次回、フランスへいったら、ブルボン宮殿前にコルベール像があるかどうか、確かめに行ってみなければ。
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シリアのラッカ陥落

一昨日、シリアのラッカが政府軍や有志連合軍により陥落。イスラム国IS(フランス語だとEI)が消滅したというニュースが流れた。
以前にはイラクのモスルも、イラク政府軍の手に落ちている。
これで一応、イスラム国は崩壊したことになるのだそうだ。

国を称しながら、国とは呼べないイスラム国、その成立過程やこの2年間の動きをみて、絶望感に陥っていたところもあって、少しほっとはしたけれど、簡単に崩壊、あるいは消滅といえるのか、疑問でもある。

なにより、ラッカの市街を映した映像をみると、戦争とはこんなにむごいものだということを、再認識させられる。

一応、近代都市の様相のあるラッカの街、コンクリートの残骸のみになっている。これでイスラム国がなくなったからといって、市民生活が再開できるものだろうか。
難民として街を去った人たちが戻ってこれるのだろうか。

私たち、日本に住むものは、70年以上、戦争を経験していない。もう戦後ではない、と言われてからもずいぶん時間がたっている。
だから、戦災で焦土となったことの記憶を持っている人も少なくなった。

もちろん、あれほど徹底的に崩壊するには、空爆もあろうが、地上戦が大きかったに違いない、
日本では地上戦の可能性はどのくらいあるのだろう。

イスラム国が2年間も存在できたのはなぜなのだろう。お金、人間、そして武器、どうやって賄っていたのだろう。疑問は尽きない。
そして、世界に分散しているという、イスラム国のシンパたちはどうするのだろう。不安な要素はたくさんある。

イスラム国を成敗したからといって、それで終了ではない。スンニ派やクルド族、なにやら新しい紛争の要素がもう出てきているのだとか。平和というのはそんなに大変なことなのか。

日本にいて、砲弾の音、臭いを感じなくていい幸せを強く感じている。これを続けなければ。選挙の1票もその一つの手段である。
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軽井沢、トンボの湯、リンゴ風呂

秋たけなわの信州、わが上州の地もそうなのだが、軽井沢のトンボの湯から、リンゴ風呂を立てるというご案内があった。

ご近所の友人たちと出かけた。駐車場はいつもなら平日の午後、がらがらとはいえないにせよ、空いているものなのだが、今日はハルニレに停めてください、と係り員が言う。満車なのだそうだ。

満車か、と友人とぼやく。そう寒くはないが、駐車場から歩くというのが気に入らない。でも仕方ない。

まあ、人の多いこと。あまりトンボの湯にはこないのだが、いつも以上の人がきている。脱衣場は人でわーんと人込みの音がする。

1日、500個のリンゴをいれるそうだ。内湯だけだが、午前と午後でリンゴを入れ替えするというし、男湯と女湯、そうすると、浴槽には100個以上のリンゴが浮かんでいるのだろう。
リンゴの赤さからみると、秋映えという品種のようだ。

ぷかぷか浮かんだリンゴの間に体を沈める。あまり臭いはしない。だれかがかじったのだろうか、歯型が残っているリンゴもある。

ゆず湯のほうが香りはするわね、と友人がいう。バラ湯もいいけどね、と私。

リンゴ湯がどのくらい温まるか知らないが、気持ちが落ち着くことは疑いないようだ。

帰宅して、リンゴをかじる。我が家のリンゴ湯を考えるが、1個でも2個でもいれるのは惜しい。皮だけいれるっていうのは?と思うけれど、皮をいれる袋を縫うのも面倒だ。
今日のリンゴ湯で季節は味わった。ということにしましょう。
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東京迷路

久しぶりに東京へと行った。10年前までは、東京はわが町、特に、長く住んでいた港区はマイ・タウンであった。

ところがこの10年、東京はだんだんわからなくなってきている。まず、銀座でも昔とお店が違う。新しいビルが建ち、そのなかに出ているお店が新しくて、覚えられない名前が増えた。

今回はまさかの地下鉄で迷子になりそうだった。この頃ではあまり地下は動かない。そして移動には知っている路線しか使わないのを原則としている。今回も知っているはずの路線のみであったはずだ。

しかし、だれかが言うように、東京の地下鉄は迷路になっている。JRしか利用していなかった市ヶ谷に今回泊まった。友人宅である。そこから出かけるのに、JR以外に3本も地下鉄が通っていることを知った。都営新宿線、有楽町線、南北線がある。いずれも以前、住んでいたときにはあまりなじみがない路線だった。

広尾に出かけるのに、南北線で四谷、そこで丸の内線に乗り換え、霞が関へ。次に日比谷線へと移動。3本の地下鉄でようやく広尾へとつく。

路線が延長され、私鉄と乗り入れもあるため、終点の地名がどこにあるのか、すぐに理解できない。私がちゃんとわかるのは銀座線、丸の内線、日比谷線の3路線のみなのだ。

今日はたった2駅の神保町へ出たのだが、都営新宿線で神保町についてからが混乱した。学士会館への出口をみると、A9とある。しかし、そこへ到達するのに、いったん都営三田線のホームにでなければならない。

他の線のホームを通って、というのは霞が関も丸の内線から千代田線へ出るには日比谷線を通らなければならない。銀座駅でも、銀座線から丸の内線へは日比谷線を経由する(脇道もあるが)。
渋谷駅、大手町駅など、いくつもの線が乗り入れて、土地勘のない人や外国人にはとても分かりずらい駅なのだそうだ。

市ヶ谷から神保町まで、たった2駅なのに40分もかかってしまった。地下鉄路線図も、目的駅を探すのだって一発で見つけるというわけにはいかない。

すごく地下深くを通っている大江戸線などを使うとき、このまま地上には出られないのでは?と思うこともしばしばだ。

日本語は読めるのに、理解ができない駅の案内に、認知症になってしまったのでは?とパニックになりそうだった。地上の景色も変わり、地下でも迷うとなると、もう東京は一人で行動するのができなくなる日も近い。
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大同少異か少同大異か

私の選挙区ではないけれど、応援している政治家がいる。一応前職、民進党だった。今は希望の党の公認で立候補している。

選挙がある、とわかった時、今回はしっかり応援しようと思っていた。ところが、条件が変わった。小池百合子氏の「希望の党」ができ、民進党が党首前原氏の判断で、この党に合流してしまったからである。

いくつもの点で、食い違いがでていた。まず、蓮舫氏が党首を辞任、後継者として前原氏と枝野氏が立候補したところから始まる。私は二人を比べれば、枝野氏のほうを選ぶ。また選んだ。しかし、この政治家は、心情的理由も加わって、前原氏を選んでいた。

今回の民進党合流についても、党の決定に従うという理由で、希望の党に合流、第一次公認を得ている。

待てよ、と言いたかった。党の決定といっても、希望の党は保守ではないか。前原氏が何を言おうと、この合流はおかしい。民進党からの離脱者が増えても、主張の異なる政党と一緒になるなんて、それはすべきではない、と私は叫んでいた(無言のうちに)。

憲法はいつか変えなければいけないところが多々あるにせよ、自民党や小池氏が思っている改憲であってはならない、と私は思っている。そして安保法案、その他の政策に、私は深く憂いを持っている。

踏み絵的な誓約書が出されたところで、この政治家は断固として離脱を表明すべきだった。枝野氏の立憲民主党に合流しなくとも、無所属の道を選ぶべきであった。無所属での当選の難しさは聞いている。かろうじて比例区で当選しているのだから、無所属ではきっと浪人になってしまうだろう。

しかし、大同小異ならともかく、大きく違う政治理念を掲げている政党で、もし当選したとしても、やっていけるはずがない。政治家は政治理念で勝負ではないのか。

こんなことを言うと、きっと青二才的と言われそうだが、まだ青二才の意識を持てることに、自己満足もしている。
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図書館に文庫本はおかないで

大手出版社の社長が、公共図書館には文庫本はおかないで、と訴えているということだ。うーん、どう受け止めればいいのだろう。

この頃、本を買うことは少ない。村に本屋さんはないからだ。気に入った本屋は車で2時間の前橋にしかない。だからといって、前橋に行くたびにその本屋さんに寄ることもない。かえって、東京へ出ると、寸暇を惜しんで、本屋さんを覗く。でもあまり買わない。

断捨離にはいったこともある。今、本も鋭意処分中なのだ。だから、読む本は村の図書室、あるいは友人からとなる。村の読書人口は少ないから、新刊書もすぐに読めるのがとても気に入っている。
友人からは時々、彼女が読み終わった本をまとめて送ってもらっている。ということは、私が読んだあと、手元に残ることになる。ということは、断捨離とは矛盾する。

外国に住む友人たちがその解決策だ。数人の友人に、それぞれの好みを考えつつ、少しずつ、送っていく。これは私自身にとっても楽しみなことだ。

ところで、図書館ではなるべく単行本を読んでいる。単行本は価格が高いので、自分で買う気になれないからだ。
だから、もし、図書館に文庫本を置かないということになっても、そう困りはしない、と思う。

今朝、図書室に行ったとき、係りの女性とこのことで話した。彼女によると、文庫本の需要もあるので。。。その需要というのは、病院などでの待ち時間に読むために、文庫本を借りる、という人も多いのだとか。
私は図書館の本は、自宅でしか読まないけれど、そういうTPOの使い方もあるのだ。

お風呂で読まれる方もいらっしゃるようで、、、と彼女はいう。返却された本が湿っぽく、石鹸のにおいがすることもあるそうな。

文庫本というのは、手軽だし、価格も高くないから、自前で、というのも納得だけれど、さて、文庫本が場所をとらないか、というと、それなりにたまっていくと、場所が必要だ。
本は本だから、気安く捨てるというのもできない。そうであれば、図書館から借りて、という気持ちにもなる。

読書人の立場からいえば、何もかも図書館に備わっているのがうれしいけれど、書く立場からいえば、たまには買って読んでよ、といいたいし。

今、文庫本を次のフランス行きのために準備中である。
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今、独立は難しい

スペインのカルターニャ州、イランのクルド自治区、独立を目指して、長い期間、運動を続け、今、そのピークになっている。どちらも独立のための投票をした。多数は独立容認であるが、今、属している国は、それを認めようとしない。

はたして、この2つの地域は無事に独立ができるのだろうか。

私はこの両地域の歴史を知らない。だから、なぜ今、独立を目指しているのか、よく理解できないでいる。クルドは、世界でただ一つ、民族としての自国をもっていない、という事実は聞いている。ただ一つなのか、その民族の人口に対して、だったのか、そこも定かではないのだが。

カルターニャ州については、バスク地方と比較して、自治権が弱いとか、いくつかの情報を得ているが、自治州ではいけないのか、どうしても独立しかないのか、そのプラス・マイナスは計られているのか、独立しなければならないほど、マドリッドの中央政府との軋轢は大きいのか、はっきり理解できないでいる。

私がフランスの機関で働き始めたころ、フランスでもいくつかの独立運動があった。たとえばブルターニュ地方、ブルトンと呼ばれ、独自の言葉を所有し、イギリスとの距離が近いことから、イギリスの影響も大きかった。ここでずいぶん激しい独立運動があったものだ。
またコルシカも同様だった。ここは距離的にイタリアに近い、また以前から独自の文化、言語が極めてフランス語からかい離したものである、コルシカはフランスではない、とコルシカに行くと強く感じたものだ。

いまや、ブルターニュはおとなしくフランスの一部で収まっている感があるし、コルシカはいろんないきさつのあと、独自の議会をもつなど、半自治政府もあるような。

これらはフランス本土かそれに近い島であったが、海外領土のニューカレドニア、フレンチ・ポリネジア、これらも独立への動きは激しかった。
また、こういう本土から遠いところにある、植民された土地は、当然独立すべきものだ、と私は考えていた。

アフリカの国々が独立できたのは、もちろん、長い独立運動の結果であるだろうが、第二次世界大戦が終わり、それぞれの宗主国が戦後の復興に専念、アフリカの領土まで手がまわらなくなった隙をねらって、ということもあったと思う。

戦争といったものがなければ、昔も今も独立というのは難しいようだ。南スーダン、あるいは東チモールといった国は、闘争期間も長かっただろうし、払った犠牲も大きかっただろうが、よく独立できたものだと思う。

今、独立するといっても、自国民の投票だけで可否が決められるものでもない。国連をはじめ、世界の承認が得られなければ、国として成り立たなくなる。
カタルーニャには、まずはスペインと、そして、EUに加盟できるかどうか、という厳しいハードルがある。

ソ連の崩壊もドラマティックであったが、今や、それも歴史の一部となった。

日本でもし、独立運動がおきるとすれば、沖縄か、北海道であろうか。歴史はまさか、もある。
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我が家のファミリーヒストリー

今回の帰省は、長兄の米寿のお祝いだった。満年齢でいえば87歳だ。我が家は長兄、長姉、次姉、そして私、弟と5人の兄弟姉妹である。
一番上と下が男、中の3人が女という構成だ。そして上の二人と下の3人は、母親が違う。上の二人の母親は、第3子を出産した折、産褥熱で死亡、その子も結局、お乳が不十分で亡くなった。
当時、父は30代、結局その数年後に、下3人の母である女性と再婚した。我々の母は初婚である。

兄の年齢からいっても、我が家の歴史には一番詳しい。お祝いの席では、ファミリー・ヒストリーにも話が飛んだ。私たち下の3人は知らない祖父のこと、商人であったこと、父の代に家業を閉じて、父は中国で働いていたこと、父が再婚した私たちの母は、長姉の幼稚園の先生で、当時5歳の長姉が仲介者であったこと、など、いろいろ知らないことばかりで、興味深い話であった。

長兄と弟の年齢差は20、親子といってもいい差である。兄弟姉妹というのは面白いものだ。血を共有するだけで、こんなに親密になれるのだ。一緒に暮らしたこともない兄も、兄と思うだけで、信頼し、甘えたりすることができる。

我が家は小市民の家庭であった。今もそうだけれど。そしてとても常識人の集まりである。一人として、変わり者がいない。教育もほどほどに受け、それなりに就職し、定年まで働き、今では年金生活者となっている。弟だけはまだ現役だが。

お金持ちでもないが、おそらく貧乏でもないのだろう。だから、お互い、思いやりも示せるし、その思いやりを受け止めても、引け目を感じることもない。こういう家族が一番いいのだろうか。

このファミリー・ヒストリーも、どこまで引き継げるのだろう。長兄には2人の男児がいるけれど、東京圏で暮らし、我々が実家と思っている家に帰ることはないだろう。
私には子供がいない。だから、せっかく聞いたヒストリーも伝える人はいない。

まあ、こんな平凡な家庭は、ファミリー・ヒストリーというほどのことはないだろう。甥や姪をみていても、どうも小市民で終わるであろうし。
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九州、歴史探訪の旅

6日間、九州へといってきた。実家の長兄の米寿を祝うためであったけれど、ついでにいくらかの観光も試みた。

弟が休暇をとって案内してくれた。まず、小郡市にある九州歴史資料館なる建物である。大宰府にある九州国立博物館は知っていたが、この歴史資料館なるものは初めてしった。
うれしいことに、65歳以上は無料という。私も弟もその恩恵に与った。(中学生以下も無料)

丁度催されている企画は「福岡県の城」、いろんな古城の地図やデッサンがある。昔は山城が多かったせいか、山には必ずお城があった、というほど、お城があったようだ。
今、お城はブームで城ガールなんていう女性のお城ファンもいるらしい。

なんせ、人がいないので、ゆっくり、マイペースで見て回ることができる。学芸員の人も所在ないのか、ちょっと興味を示してみている私につきっきりで説明してくださる。これはよかった。やっぱり専門家の説明は面白い。

なんだか歴史に浸りたくなった。弟に、大宰府まで足を延ばそうという。時間的に少し無理はあったけれど、できるだけ見られればそれでいい、ということで、車を走らせた。

九州国立博物館には一度足を運んだことがある。なんだかやけに展示物が多いという印象だった。
今回は、チャンスであった。というのは六郷満山開山1300年記念特別展示というので、大分県国東宇佐六郷満山展をやっていた。

国東半島から運ばれた木造の仏様が安置されている。阿弥陀如来、菩薩像、あまり巨大なものはない。もちろん、摩崖仏の類はないけれど、なんと心が落ち着く仏様たちであろうか。
アルカイックのほほえみが少し疲れたこちらの精神状態をなだめてくれる。

私は20年前にカトリックの洗礼を受けた。だから仏像を拝むということはしないのだが、人生のほとんどを仏教の影響下で過ごしたためだろう、マリア様の像より、阿弥陀如来になぐさめられる気がする。

その日は、時間があまりなくて、じっくり仏像との対面ができなかった。そして翌日、もう一度、博物館へと足を運んだのである。
それには70歳以上は入館料が無料である、という事実も大きな要因であったけれど。
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